2012年12月30日
 俺の大好きなヴォーカリストPay money To my PainのKさんが亡くなった。
 それを知ったのが2013年1月10日だった。
 公式で発表されたのがその日だったんだ。
 理由などは公式で発表されているので、そちらを参考にしていただきたい。
 この話を聞いた瞬間に俺は泣き崩れたし、今でも泣いてしまいそうになる。(少しはマシになったが)
 というか、未だに信じられないでいる。
 だから、こういった記事を書こうと思ったのかもしれない。
 CDをいれて再生ボタンを押せば、Kさんは歌ってくれる。
 だけど、現実にはいない。
 そのギャップが、未だに信じられないでいる。


 少し、俺にPay money To my Painの話をさせてほしい。
 このバンドは俺にとってのヒーローで、そして、命の恩人だ。
 だから、記したい。


 Pay money To my Pain(以下P.T.P)のKさんは以前『GUN DOG』というラウドロックバンドに居た。
 その頃、洋楽かぶれだった自分は『邦楽はまだまだ』なんて言葉で聴きもせずに『ラウドロックは洋楽しかあり得ない』なんて思ってた。
 そこに登場したのが件の『GUN DOG』だ。
 音楽チャンネルの『SPACE SHOWER TV』を観ていた時に彼らのPV『imaginary high]』を聴いた瞬間にブチのめされた。

 なんだ、これは!?
 それからCDを買い、狂ったようにこの曲ばかりを聴いた。
 ただ、その頃ライブに行く習慣の無かった自分は彼らのライブを見逃してる。
 しかし、記事では観ていた。
 マリリン・マンソンのO.A.をやったり、自分が中学の時に好きだったROUAGEのGt.RIKAさんがやっている『dibs』というバンドと対バンしたことは知っていた。
 そして時は経って就職し、ふと『GUN DOG』の人たちは何をしているのかが気になって調べた。
 GUN DOGは無期限活動休止をしていた。
 『Chair』という曲を残して。

 そこでCDを買って、ネットを頼りにKさんの近況を知ろうとしたら、P.T.Pの事が出てきた。
 その時が2006年。
 結成してしばらく経っていたが、まだCDはリリースされていなかった。
 その当時、HPから流れるとても綺麗な曲が好きだった。(あの曲が今となってはなんていう曲なのかはわからない。多分『Home』だと思うが)
 そこで興味を持ち、メンバーを調べたら、GIRAFFやFake?のサポートをしていたPABLOさんがメンバーにいるではないか!
 PABLOさんはフールズメイトとロッキンfでGIRAFFの記事を読んでいたので、本当にびっくりした。
「こりゃあ、凄い事になる」
 そう思った。
 そういえば、バンド名が長くてバンドの名前をはっきりと記憶できなかったという困ったこともあった。(今ではすらりと言えるが)
 そして、時が流れてP.T.Pは2006年の年末に『Drop of Ink』という三曲入りEPを出した。
 発売日にタワレコに走って、急いでCDを入れた記憶がある。
 流れてきたのは一曲目の『Black Sheep』だった。

 最初、戸惑いを覚えた。
『激しすぎる』
 それが率直な感想だった。
 もっとメロディアスなものを期待した自分には、最初馴染まなかった。
 3曲目に入っている『From Here To Somewhere』はスッと入り込んできたが。
 しかし、何度も何度も繰り返して聴いていくうちに、その轟音の中に秘められた物が見え始めて、一気に惚れた。
 部屋に『Drop of Ink』のポスターを貼って、ニヤニヤしながら眺めた。
 この時、彼らがMTVの番組に出るという事を聞いて、急いで予約した。しかし、ライブ映像は無く、PVだけしか観れなくて少々がっかりしたことも覚えている。

 そして、彼らは直ぐに1stアルバムをドロップした。
 それが『Another Day Comes』だ。
 頭の『Another Day Comes』がしびれるほどにかっこよくて『このバンドは絶対にかっこいい!』と確信を持った。

 和訳を読まないとわからないことだらけだったけど、P.T.Pの演奏は言葉以上の何かをこちらにぶつけるので、なんとなくわかったりしていた。
 この頃Kさんはアメリカに住んでいたので、そこまでライブも頻繁に無く、自分もライブに行っていなかったこともあり、触れる機会が無かった。
 しかし、その次の年PUNKSPRING'08に、彼らが出演した。
 直ぐにチケットを取り、楽しみにしていたが、ライブ前にGtのJINさんの脱退が発表されて、ショックを受けた。
「これからどうなるんだろうか」
 そんなことを考えながら観た、彼らとの初接触
 最高としか言いようが無かった。
 モッシュが起こり、ダイバーは人の頭の上を泳いでいく。
 途中のMCでKさんは「まあ、ゆっくり行こうよ」と余裕たっぷりに言っていたのを、未だにハッキリと思い出す。
 そしてライブが終わり、JINさんがギターを真上に放り投げて終わった。
 あの時、5人のP.T.Pを観れたのは貴重だった。

 ギターが一人抜けただけでも空中分解するバンドは少なくない。
 この頃のP.T.Pは不安定な気がしていて、心配でならなかった。
 しかし、彼らは『Writing in the diary』を発表。
 復活をアピールした。
 最初、曲を聴くのが怖かったが『Out of my hands』を聴いて直ぐに『ああ、大丈夫だ』と思った。
 メロディアスで、そして、どこか切ない歌詞と、声。
 何もかもがかっこよかった。

 同年、彼らはSUMMER SONIC 08に出演。
 チケットを取っていた自分はその時間に彼らの所に行った。
 熱い会場をもっと熱くしたそのライブは『4人組でも大丈夫だ』と思わせるには十分だった。しかし、JINさんの時の楽曲をやると少し音が足りない気がした。

 2009年に入り、彼らは2ndアルバム『after you wake up』をリリース。
 一聴した際に『Same as you are』の世界には引き込まれた。
 1stアルバムにあった『Home』とは違う、何処か儚げで、優しい曲。
 ここから少しずつメンバーの心境にも変化が表れてたのだろうと思う。

 未だにこの曲を聴くと涙が出る。
 辛さも、弱さも、抱きしめて『大丈夫だ』と言ってくれるからだ。
 このアルバムにはP.T.Pの『怒り』を体現した楽曲『The answer is not in the TV』も収録されている。
 是非、聴いてみてほしい。(この二つの曲はベスト盤にも収録されている)

 その後彼らはライブツアーを回り、ファンを増やしていった。
 ライブに行かなくなって久しくなった、2010年。
 僕は、躁鬱病になった。
 当時、死ぬことばかり考えた。
 精神科にも通ったが死は近くに這いよってきてケタケタと笑った。
 そんな中で発売された『Pictures』

 ミドルテンポのこの楽曲に、最初は戸惑いを覚えた。
 自分の中でP.T.Pと言えば『怒り』だからだ。
 何かが、違う。
 そう思ったのは事実だ。
 だけど、日々その楽曲を聴くごとに段々とよくなっていった。
 けれど、自分の病気はよくなっていかない。
 悶々と過ごした。
 そして、彼らのツアー『STAY REAL』が決定した。
 僕は仕事を早目に切り上げてライブハウスへと向かった。
 いつものようにライブは始まるが、いかんせん精神状態が不安定な自分にはなかなかどうして、ノリきれない。
 鬱も怖いが躁と言われる、テンションが上がりすぎてわけがわからなくなるのが怖いのだ。
 その後に、どっと疲れてしまうこともあったので、なおのこと怖く、どこか離れて観ていたように思う。
 けれど、KさんがMCの際に
「皆さんに、聞きたいことがあります。愛することってなんでしょうか?僕はそれを知りません。だけど、一度だけ、人を愛したことをがあります。その時に作った曲です。『Same as you are』」
 そう言って演奏されたその曲で、僕は涙を流していた。
 溜まっていた分が流れていく気がした。
 そして、その後のMCでKさんは今回の『STAY REAL』の意味を皆に説明していた。
「今回の『STAY REAL』っていうのは『そのままの君でいて下さい』っていう意味です。無理に自分を大きく見せなくて、いい。そのままの自分でいれば、いいことがあるんだ。リアルな自分で過ごして、胸張って生きていたら、100円見つけるかもしれないぜ(笑)」
 心のつかえが、スッと取れた気がした。
 ああ、そうなんだ、と。
 じゃあ、好きにやるか、と思えた。
 この時初めて、僕はP.T.Pが自分の人生に於いて一番重要なバンドだと思った。
 こんなバンドはそうそういない。
 そう思った。
 そして、それからは狂ったように彼らのライブに行った。
 メンバーを見つけて、少しお話をさせてもらったこともあった。
 未だに、忘れられない。

 2011年。
 彼らは3rdアルバム『Remember the name』を出した。
 発売前に先行公開された『Deprogrammer』を聴いて「なんか違うな」とほざいていた自分だったが、アルバムを買って一曲目の『This Life』を歌詞を読みながら聴いて、涙ぐんだ。
 自分とオーバーラップしたとかじゃなくて、P.T.Pが、Kさんが『他の人』を受け入れるようになっていたからだ。
 楽曲もそれに呼応するように色々な楽器が使われていた。
 どこか冷めた感じのKさんが、何かに気付き、それが歌詞になった。
 それに気づいて、涙が出そうになった。
 救われたんだね、と思った。
 僕にとってこのアルバムは聴いた瞬間から『名盤』になっていた。
 今でもそれは変わらない。



 そして、2011年3月11日。
 あの、未曽有の大震災が起こった日だ。
 その時、彼らは名古屋でライブだった。
 メンバーは自分の家族を東京に残し、不安だったと思う。
 しかし、ライブは決行された。
 不安を一切感じさせない演奏力は、心強かった。
 この年、このライブにしか行けなかったのが未だに悔しい。

 2012年に彼らを観れたのは一回だけだ。
 4人がしっかりと歯車を合わせていて、5人だった時の曲も何の違和感もなく演奏していた。
 途中でやった新曲も『これからP.T.Pは名盤を出せるのか?』という不安を一気に叩き壊してくれた。
 キッズたちも、大いに沸き上がっていた。

 同年にベスト盤が出て、新曲を聴いた。
 4thアルバムは絶対ににすごい事になると思った。



 ニュースを聴いて、信じられなくて、泣いた。
 しかも、丁度P.T.Pを聴いていた時だった。
 信じられなくて、調べた。
 だけど、本当だった。
 ラウドロックが好きな先輩と少し語り合ったけれど、信じられなかった。
 だけど、本当なんだ。
 なんでだろう、って感情が一気に渦巻いたけれど、でも、最初に出てきた言葉は『ありがとう』だった。
 救ってくれて、ありがとうございました。
 歌ってくれて、ありがとうございました。
 握手してくれて、ありがとうございました。
 感謝しか出来ない。
 感謝の言葉しか出てこない。
 いつまでも下を向いているわけにはいかない。
 前に行かなきゃいけない。
 Kさん、ありがとうございました。
 愛してます。
 だから、俺がジジイになってそっちに行った時にライブ、また見せて下さい。
 俺、自分の子供が出来たら、教えますよ。
 こんなにかっこいいバンドがいたんだよ。
 って。
 別れじゃないですから。
 だから、また、会いましょう。
 ただの1ファンの言葉ですけど。
 See ya!

2013年1月13日 影井公彦 自宅にてP.T.Pの『Innocent in a silent room』を聴きながら